地デジが開始された当初は、著作権、コンテンツ保護の観点から番組の録画データのダビングは1回まで(ムーブ)で、ダビングしたら元のファイルは消されてしまう「コピーワンス」という仕組みで多くのテレビ局では放送されており、たとえば録画番組をDVDに移そうとして途中で電源か切れる、停電にあう、あるいはディスクに問題がある、ハードに不具合があったという事故が生じた場合、録画番組はどうでもいいものから大事なものまで、容赦なく消されてしまいました。
これではあまりにも権利者サイドだけの都合でルールが決められすぎていて、視聴者は大変な不便を強いられてしまい、本来自由にできるはずの私的録画なのに、番組が消えてしまうという不安からムーブ1回にどれだけビクビクしていたか、わかりません。
これの一時的な策として「ダビング10」という運用ルールが1年前の2008年7月4日午前4時に施行され、放送はダウンロードなどでファームウェアアップデートされた機器から順次、ダビング10に対応していき、たいていの番組は『9回コピー、1回ムーブ』の計10枚のDVDないしBDにダビングできるようになりました。最後の1回のムーブ終了後は録画ファイルは従来通り消されてしまいますが、これまでは1回きりで、失敗したら後がなかったダビングも、だいぶ気楽に行えるようになりました。
ただし、一部の機器はダビング10に対応していなかったり、ファームウェアのアップデートでダビング10に機械側が対応する前に録画した番組は1回きりのコピー(コピーワンス)のままです。
私の場合、ダビング10施行後から地デジに触れ始めたので(ワンセグから)、特にフルセグをみるようになった今、1回きりのムーブの恐怖の程度は実感したことがないのですが、本当に取っておきたい番組が失われる悲しみがなんとも言えないものであることは、私にもわかります。
たいてい、1回ダビングしたら元の録画ファイルは消してしまうのですが、録画番組がディスク容量を上回っていたり、ディスクトラブルなどでダビングに失敗した時、ダビング10のありがたみを感じます。
録画したディスクが気に入らなければ、もう一度プログラムを組みなおしてダビングしたり、鑑賞用、保存用と複数のメディアを作成するという利用法もありますから、ダビング10のおかげでかなり利便性が向上したと思います。
この10回と言うダビング回数については、暫定的なものであり、今後、変更される可能性もありますが、少なくとも今の10回でたいてい事足りますから、私にとっては十分なくらいです。仮にコピーフリー(ダビング回数無制限)になったとしても、ほとんど変わらないと思います。
しかし、現行のルールでは従来のものと同じく、ダビングしたディスクからコピーするという孫コピーができません。
これでは、何年、何十年と時を超えて残しておきたい番組すらディスクの劣化によりバックアップできないまま再生できなくなってしまい、非常に残念なことになってしまいます。
録画ファイルのディスクへの書き出しについては十分ではありますが、ディスクを将来にわたり残しておきたい場合について、委員会の皆さんには考えていただきたいものです。
現行の解決策としては、ダビング10をフルに使用してディスクを大量生産(10枚)し、すべて暗所に厳重に保管して、鑑賞用以外は手を触れないようにして生き残りバトルをさせるということくらいですが(いや、他にもあるといえばあるが・・・)、メディアによっては1年と持たないものもありそうなので、どうか保管ディスクにも救いの手を差し伸べてください。
ディスク形態がCPRMである以上、そう簡単にはコピーできないのですが、新しい規格を作って、たとえば10回のコピー回数のうち5回を1枚のディスクに割り当てて、1回は録画ファイルからディスクへのダビング、残り4回は孫コピー可能回数として使用。ダビングディスクから4枚のディスクをダビングするか、最初と同様に1回をディスクの作成、残り3回を未来用にするという形にしてもいいように思います。ダビング可能回数が尽きると自滅コードを発動し、ディスク内容が何であれ抹消されるというアホコードが内蔵されているかもしれませんが、そんなことは考慮したくありません。
この場合、これ以前の規格との互換性がなくなってしまい、所有しているプレーヤーでは再生できなかったり、ダビングできなかったりという惨事になりかねないので、やはりそんなことを考えるよりその辺の制限はない方がいいのですが・・・
権利者と利用者が互いにうまく付き合っていける完全な仕組みを作ることは難しいことであり、そんなものは存在しないとも言えそうですが、これは権利者にも利用者にも言えることですが、双方がいるからこそ成り立っている世界であり、やはりどちらか一方だけが強いことを言っても、そんな関係は成り立つはずがありません。
時には一歩ゆずりあうことも重要になってきますが、この先どのような変化を見られるのか、目が離せません。